圏外からの勝利──1980年代後半「OS戦争」の勝敗を決めたもの
最近、「 『UNIXをC++で分散OSに書き直せ』、幻に消えたBill Joyの野望とは」という記事を書いていて改めて気がついたことがあります。1987年〜1993年頃の時期はコンピュータ産業の大きな転換期で、次の世代の主流となるOSが決まる重要な時期だった、ということです。勝ち残ったのは、当初は「圏外」と思われていたWindows NTとLinuxです。
大きな転換期であることのサインは、いくつかあります。32ビットCPU(Intel 80386とその後継製品)を搭載したPCが実力を高め、エンタープライズITのメインストリームになっていったこと。コンピュータ産業の巨人と思われていたIBMが赤字に転落し、社外からガースナーCEOを迎えいれたこと。オープンシステム(メーカー独自のプロプラエタリな製品ではなく、業界標準の製品によるシステム構築)の台頭。インターネット商用化も同時期の出来事です。
そういった一連の転換のきっかけとして大きかったのは、32ビットCPU(80386)を搭載したPCの登場だったと思います。Linux開発者のLinus Torvaldsも、GNUのツール群を開発したRichard Stallmanも、32ビットCPU搭載PCを自らのソフトウエアの重要なターゲットだと考えていました。
一方、こうしたPCのインパクトを過小評価していた会社もあります。メインフレームの成功で強大な地位を築いていたIBM。美しいVAXアーキテクチャで人気があったDEC。時代の最先端だったRISCプロセッサ搭載UNIXマシンのパワーで新市場を切り開こうとしていたSun、HP。こうしたメーカーから見れば、当時のPCはまだオモチャに見えたはずです。
しかしながら、32ビットCPUを搭載したPCは、やがてITのメインストリームになり、このPCを制したOSが、主流のOSになっていった訳です。
1987〜1993年に、32ビットPCをめぐってどのようなOSが争っていたか、もう一度思い出してみましょう。
- OS/2 (IBMとMicrosoftが組んで推進し、本命と思われていました)
- NEXTSTEP (Steve Jobsの「ハロー効果」もあり知名度は高く、ユーザーは少ないものの顧客満足度は高い環境でした。後にIBMヘのライセンス提供やパッケージ販売も行われました)
- 商用UNIX(Sun、HP、IBM、DECなどが有力でしたが、メーカーの数だけ細かなバージョンがある状態でした)
- Windows NT(IBMと決別したMicrosoftが社運をかけて開発したものです)
- Linux (当初はまったく重要とは思われていませんでした)
- 386に移植されたBSDの子孫(386BSD、NetBSD、FreeBSD、OpenBSD──)
こうして見ると、商用UNIXは、実はかなり「いいセン」をいっていたのです。PCに対応可能で、32ビットのメモリ空間をフル活用し、TCP/IPをサポートし、完全なマルチタスク機能を提供ししていたOSは、1980年代後半には事実上UNIXだけでした(90年代にはNEXTSTEPも外販を始め、そしてWindows NTも登場しています)。80年代後半にはX Windowが登場、GUI構築環境への取り組みも始まっていました。
歴史のifですが、UNIXをPCに移植し、セールスとサポートをがんばれば、ITの歴史はそうとう変わった可能性があります。これが前回の記事「『UNIXをC++で分散OSに書き直せ』、幻に消えたBill Joyの野望とは」の主な論点でした。一つ記憶に留めておきたいこととして、当時の「統合UNIX」の開発ターゲットに「80386搭載のPC」が含まれていたことは重要だったと考えています。実際には、この路線は縮小してしまいます。その後、PC向けの商用UNIXとしてSCO UNIXやIntel版Solarisが出ていますが、マイナーな存在でした。
そして、商用UNIXベンダーは利益率が高い自社ハードウエアを売り続けた訳です。
もし、OS戦争の勝者が確定していなかった1980年代後半のあの時期、PCにUNIXを載せて本気で売ってサポートしたら、何が起きたでしょうか。ひょっとするとハードウエア・ベンダーであったSunや、他のUNIXベンダーの利益率は下がり、会社の数が減っていたかもしれません。しかし、ITの歴史は変わっていたかもしれません。
私は、1987年に、当時のSun Microsystems社のCTO(最高技術責任者)だったBill Joyが次世代のUNIX構想について講演する様子を取材したことがあります。AT&T版のSystem Vとバークレイ版のBSDを統合してSVR4(System V Release 4)を作る、という話をするとき、Bill Joyはなんだかつまらなそうに、やや投げやりに喋っていました。しかし、その後に「UNIXカーネルをC++書き直す。ネットワークワイドな共有メモリを基本機能として提供する」という次世代UNIXの基本コンセプトを語るとき、Bill Joyの存在感は高まり、別人のような「作る人」のオーラが出ていました。彼が本気で作りたかったのはSVR4ではなく、この次世代UNIXなんだな、ということが印象に残り、そして前回のエントリでそのことを書き記した訳です。
成功と失敗を分けるもの
コンピュータの歴史では、先進的だから成功するとは限らないという経験則があります。
Apollo Computerが提供していたAegis(イージス)はネットワーク仮想記憶(単一のアドレス空間の中に各コンピュータがマップされていた)を備え、BSDベースのSunOSよりもはるかに先進的でした。しかしながら、プロプラエタリなOSとネットワークでしかなかったために、UNIXとTCP/IPという大きなトレンドに負けてしまいました。
一方、Machオペレーティングシステムには、OS研究の専門家からは「分散OS研究としてみると後退してるじゃないか」といった批判がありました。Linuxが、Tanenbaum教授から「モノリシックカーネルのOSをこれから作るのか」と批判された話は良く知られています。しかし、MachもLinuxも今日まで残っています。
専門家が批判したものが、違う軸で産業界で高く評価されることは、コンピュータの歴史ではとてもありふれた話です。
UNIX戦争の後になって、世の中にいくつかのOSが出ました。
AT&Tベル研のPlan9、Tanenbaum教授のAmoeba、こうしたOSがUNIX戦争の時期より後になって世の中にデビューしています。Sun Microsystemsの研究所が開発したSpringも1990年代に入ってから論文が出ています。これらは先進的でしたが、残念ながら産業界に大きな影響力を与えるには至りませんでした。
これらのOSが、1980年代後半のあの時期に登場して、しかも販売、サポートに必要な資本力にも恵まれていたとしたら、それはそれで時代は変わっていた可能性はあります。ただ、登場時期が遅すぎ、またOS開発のスタンスが研究用であり、当時のコンピュータ産業に大きな影響を与えることはできませんでした。
例えばAmoebaは、高速なRPCに特徴があり、マイクロカーネルアーキテクチャ採用のOSの中でも完成度が高かったものだと思います。私は編集者としてTanenbaum教授らが執筆したAmoebaの論文の翻訳を担当したのですが、読んでいて「シンプルで美しい」と感動したことを覚えています。1990年代前半のある時期、日本でもAmoebaの販売が行われたのですが、残念ながら広く普及するには至りませんでした。
こうした経緯を振り返って思うことがあります。
何が勝敗を分けたのでしょうか。
勝ち残ったのは、Windows NTとLinuxです。
Windows NTとその子孫は、PCの世界では圧倒的な支配力を持ち続けています。
LinuxはPCの世界では少数派ですが着実に完成度を高め、またスーパーコンピュータ、クラウド、組み込み機器、携帯電話などあらゆる用途に進出しています。GoogleもAmazonもFacebookも、グリーもDeNAもLinuxで動いています。商用UNIXの開発元は、Linuxなど機能上は問題にならない、と今も言い続けていますが、市場は確実に奪われています。
Windows NT系の場合は、デスマーチも社内競合も厭わず、Microsoftが思い切って開発リソースを投入したことが大きいでしょう。先行していたUNIXベンダーに比べると、Microsoftの危機感は大変なものでした。
Linuxは、インターネットの普及とオープンソースの立ち上がりという幸運な時期に重なったこと。それに、開発者のLinus氏が、技術的には保守的ながら、まったく妥協しない性格だったことも大きかったのでしょう(これはTanenbaum教授との論戦を見れば分かります)。
Machカーネルも、MacOS XやiOSのコアとして残っています。3億台以上の出荷実績を持つiPhoneに入っていることを考えると、十分に成功したOSと見ることもできます。Machが残ったのは偶然だと思いますが、技術的に筋が悪くなかった、ということも大きかったでしょう。
当初は本命とは思われていなかったものが残り、盤石と思われたものが消える──こういう現象は、コンピュータの歴史を見ると、よくある出来事です。
小さく、無名で、ベテランからバカにされるような技術の中から、次世代に育つ種が見つかる場合がある。コンピュータ産業、というよりITに関わるすべての産業に携わる人にとって、これは大事な物語だと思うのです。
追記:
記事公開後、「386に移植されたBSDの子孫」の記述を追加しました。
関連記事:
The comments to this entry are closed.
Comments
私はVMSそして商用UNIXにCADやGISソフトウェアを乗せたシステムを扱っていたものです。
記事にある本気でPC-UNIXに取り組んでいたら変わっていた可能性というものがわずかにでもあったのかということに対してのコメントです。
私は同じCADをUNIX,DOSそしてWindows,HP-UX,オリジナルUNIX,そしてSolaris(PC-UNIX),VMSのVAXシステムで開発、設定そして使用してきました。
複数のUNIXを使用して思うことは商用UNIXの大きな欠点はすべてにおいて微妙な違いがあり、しかもどのシステムが市場を制覇している状態にも無かったことにあります。
DOS/V規格が91年に発表されてから、VAX->UNIX->PCへの移り変わりはとても速いものでした。私の所属していた社ではまったく対応できずどんどん売り上げが落ちていってしまいました。
これだけの速さにおいて、市場で大きなシェアを持っている占有的な企業が存在していない商用UNIXの状態でPC化を全力で取り組んだとしても、それぞれの各社の仕様が強化されて、煩雑さが増え、結局のところビッグ・ブルーを味方につけたDOS/Windosの後継であるNTの勝利は動かなかったように思います。
ご存知とは思いますが、当時のIBMの巨大さは今を見ていると信じられないですが圧倒的でした。
Linuxは良しにつけ悪しにつけ無料だからこそ残る展開を見せた部分がはるかに大きいです。無料だからこそ多少分いろいろなLiunxに分裂していっても許されたと思います。そしてこれは商用UNIXユーザーを取り込んでいったことは間違いの無いことです。
すなわち、商用UNIXユーザーにはLinuxがあり、新規参入組みには、信頼性のある企業が展開したWindows NTがある。OS/2は分裂してしまったので候補から外れた。その他のOSについては同じ候補に上げるのもどうかと思えるほど勢力が弱小でした。
またLinuxは無償であることから、WindowsNTとの併用が可能です。実際、私はそのように使用していました。
こう考えてみると商用UNIXに付け入る隙は無かったように思います。
PCの流れを見ているといつも技術的側面を重視する会社は負け、ビジネス側面を強めた会社が勝って来ているように思います。
Posted by: minomi66 | July 08, 2012 08:24 PM
コメントありがとうございます。非常に「しみる」お話でした。
商用UNIXには、おっしゃるように図抜けた中心がありませんでした。
そこでSun-AT&T組は、System VとBSDの「統合UNIX」と、その386への移植、さらに次世代技術の取り入れにより、この状況を変えようとしていました(抜け駆けしようとした、ともいえます)。それを他のUNIXベンダーの連合に阻まれた、という側面もあろうかと思います。
一つの理由として、UNIXベンダーの各社とも、それなりに成功したビジネスを展開しており、技術的な成熟もそれなりに進んでいました。UNIXの状況を抜本的に変えることが必要、という切実な危機感は感じていなかったのではないかと思います。
一方、Microsoftの危機意識は大変なものでした。パソコンOSの主導権を握り続けるため、技術的により優れた競合相手に勝たなければならない、という強い危機感が、Windows NT開発の背景にはありました。
当方のBlog記事で書いたことを、ご指摘の文脈で言い換えると、「1980年代後半の時点で、誰かが本気でUNIXの状況を変えていたなら、つまりUNIXのバージョンを統一し、PC対応を積極的に進めていたら、1990年代以降のPCの台頭に乗れる可能性はあった」という言い方になると思います。
また、この教訓は、「今は貧弱な相手をナメてかかると大変な事になる事もある」という読み方もできるかと思います。
Posted by: 星 暁雄 | July 09, 2012 01:45 PM
ご返答ありがとうございます。
>当方のBlog記事で書いたことを、ご指摘の文脈で言い換えると、「1980年代後半の時点で、誰かが本気でUNIXの状況を変えていたなら、つまりUNIXのバージョンを統一し、PC対応を積極的に進めていたら、1990年代以降のPCの台頭に乗れる可能性はあった」という言い方になると思います。
>また、この教訓は、「今は貧弱な相手をナメてかかると大変な事になる事もある」という読み方もできるかと思います。
まったくその通りだと思います
そしてこの纏め上げる必要性が無い点でもWindows陣営は有利なのです。
どの分野でも、模倣より創造性が大事だと言われるのはまさにその部分でしょう。
結局のところAndroidよりiphoneが優勢なのも、また同じAndroidでも独自のチップを乗せることにこだわったサムソンが優勢なのも同じ理由だと考えます。
ガラパゴスと飛びぬけた独創性の違いはもちろん競争力の差です。(それは技術力の差だけではありません。ビジネスの力も当然加わります)
特に、この技術力よりビジネスの差という観点はOS戦争のように「技術のことなどまったくわからない一般的なユーザ」を多く取り込むことが必要な場合においては特に重要です。
ビル・ゲイツ氏はまだMicroSoftを立ち上げる前に、自分が書いたソフトウェアをフリーで配る人たちを「ぬすっと」呼ばわりした程、ビジネスにこだわった人物です。
また数学でNo.1になれないから、コンピュータの分野に移ってきた人です。
NTにあれだけ力を入れるのは当然ともいえます。
Posted by: minomi66 | July 10, 2012 05:45 AM