書評『ネット・バカ』:文系によるネット脳批判書には他人が気付かないヒントが秘められている、かもしれない
『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』(原題:The Shallows)は、『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』(原題:Does IT Matter?)で一躍有名になったニコラス・G・カーの最新作だ。インターネットへの継続的な没入が、脳の大規模な変化をおよぼし、書物を読む時のような「深い読み」や、他人への共感に必要な機能が損なわれることを論じている。こうくると、たちまち「そんなバカな!」という非難の声が巻き上がりそうだ。カーもそのことは承知しており、この本には、ぎっしりと証拠を詰めこんでいる。
感想はといえば、わくわくするような本ではないが、興味深い本であった。人類の知的活動の歴史、インターネットの最新の利用法、その批判に関して、膨大な情報をバランスよく配置してあり、思考の手助けになる一冊であることは間違いない。ただし、科学研究事例の引用のやり方には見過ごせない問題がある。本エントリの前半ではこの本から得られる知見について触れ、後半では科学研究の取り扱い方についてコメントしたい。
知的機械を使うことで、私たちは知的機械の影響を受け変化する
ヒトが作り出したものは、ヒトにより変えられると考えるのが工学者・科学者であり、ヒトの営みはそう変わるものではないと考えるのが批判者である。よい批判者は、工学者・科学者にとって貴重な存在だ。批判者の意見を批判的に読み解くことは、工学者・科学者にとっての貴重な「ネタ元」になる可能性がある。ソクラテスによる書物への批判から(ダイナミックな対話による思考を、静的な本に封じ込めてしまい、人間の知的活動を阻害する)、アラン・ケイが「パーソナルでダイナミックなメディア」のビジョンを生み出したように(『コンピュータの時代を開いた天才たち―最先端で活躍する型破りな15人の軌跡』)。
本書の本質は、最新で、かなり程度の良いインターネット批判だ。ヒトの脳は訓練によって鍛えられるが、訓練をやめれば衰える。ネット上の情報の斜め読みに大量の時間を費やし、書物を精読する時間を取らないようになれば、「深い読み」の能力が損なわれる。著者は、「深い読み」の能力が損なわれることを嘆く。嘆くだけでなく、その事実を証明するため、大量の証拠を集め、本書に詰め込んだ。
本書の中の印象的な言葉を抜き出してみよう。
- (マクルーハンが言うように)長期的に見れば、われわれの思考や行動に影響を与えるのは、メディアの伝える内容よりも、むしろメディア自体である。(p.11)
- わたしはいま、以前とは違う方法で思考している。(略)かつては当たり前にできていた深い読みが、いまでは苦労をともなうものになっている。(p.16)
- (タイプライターのユーザーであったニーチェの言葉)「執筆の道具は、われわれの思考に参加するのです」(p.36)
- (脳の可塑性に触れ)神経学的に言えばわれわれは、自分の考えるものへと変化するのだ。(p.54)
- テクノロジー決定論と、道具主義者(インストゥルメンタリスト)の論争。(p.72)
- ハイパーリンクは、われわれの注意を惹くようデザインされている。そのナヴィゲーション・ツールとしての有用性は、それが引き起こす注意散漫状態と切り離せない。(p.130)
- ツイッターなどのマイクロブログ・サーヴィスを用いて神からのメッセージを交換するために、ラップトップやスマートフォンを礼拝に持ち込むよう勧めるアメリカの教会も増えている。(p.139)
- 精神に変化を与えるテクノロジーのなかで、アルファベットと数字を除けば、ネットは最も強力なものである。どう少なく見積もっても、書籍以降に登場したテクノロジーのなかで最も強力なものであうと言えるだろう。(p.165)
- (ラリー・ペイジの言葉)グーグルの究極ヴァージョンは、人工知能になるでしょう。(p.238)
- (サーゲイ・ブリンの言葉)世界中の情報を自分の脳に直接貼り付けたら、あるいは、自分の脳よりもスマートな人工脳をもつことができたら、ヒトは間違いなくいまよりよくなります。(p.238)
- ウェブは、忘却のテクノロジーである。(p.266)
アラン・ケイと同じ「ソクラテスの警告」から論を起こしながらも、カーの思考は全く違う道筋をたどる。アラン・ケイは、パーソナル・ダイナミック・メディアとしてのコンピュータが、静的な本を上回る知的ツールとなり、ソクラテスが重視した「対話」が復活するとのビジョンを抱いた。一方カーは、ウェブはソクラテスが警告した「記憶を妨げ、思考を浅くする」作用があると認識するのだ。
カーの批判には、結論はない。我々は、この新しいネットの流儀と共存しなければならない。読む楽しさでいえば、本書でも触れている『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』の方が、書物への愛が感じられてワクワクする。それに『ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている』の意外性のある展開も良い。これらに比べると、本書の主張はやや平板に見える。著者自身、インターネットには愛憎半ばというところで、解決がつかないままに書いているからだろう。解決がついていたら、『もうインターネットはお捨てなさい──私はすでに捨てた!』という本になったかもしれない。
科学研究事例の扱い方には異論がある
本書中の圧巻であり、かつ議論の余地があるのは、「第7章 ジャグラーの脳」だ。MRI(核磁気共鳴)により脳の活動を観察する技術を使い、グーグル検索をしているときの脳の動きをスキャンした研究事例、まとまったテキストの形式と、ハイパーテキスト形式とで同じ文学作品を読んだときの結果を調べた研究事例などが、「これでもか!」というほど出てくる。バイオリンの習得が大脳に変化をもたらすように、インターネットの利用が大脳にある種の変化をもたらすことの証拠を、いくつも著者が挙げている。ただし、この章では、脳科学研究の結果を、人文科学のやり方で料理してしまっている。著者の主張を裏付ける材料として研究事例を引いている訳だが、これは自然科学の考え方からするとアンフェアである。
科学者が何かを主張するときには、反証可能性をよく考慮することが義務である。つまり、主張を疑う人から見ても公平な形で、主張の証拠が述べられている必要がある。他人の主張の「正しさ」を疑うことは、科学の重要な一部だ。
公平を期すため、次の言葉を引いておこう。脳の研究者による解説書『心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる (中公新書)』(坂井克之著)の一節である。
たとえば、ソフトクリームを食べているときとアイスクリームを食べているときの脳活動はどこが違うか。そのような実験をして脳のどこかの領域の活動に差があったという結果は簡単に出すことができます。そして、この結果自体は間違いではありません。問題はその解釈です。この脳領域はアイスクリームを食べることに関係している、なんてことを言ってはいけません。(p.24)
要は、研究事例は解釈とセットである。
脳は学習によって変化します。(略)ただし脳が訓練次第で大きく変化することは、脳という物質的制約を受けている私たちの心が新たな能力を獲得する可能性を示しています。現時点ではこのような学習をした結果このようなことができるようになり、それに伴って脳がこのように変化したという結果しか得られていません。(pp.219-220)
つまり、脳の変化の意味は、まだ限定的にしか理解されていない。
MRI(各磁気共鳴)による脳の働きの研究は、学習実験により「脳のある領域が変化した」事実だけを示しており、その解釈が正しいか否かは別の問題だ。坂井氏は、「大統領選の候補Cの写真を見て扁桃体が活動した。この脳領域はヒトが不安を感じているときに活動する領域である。有権者は候補Cに不安感を抱いている」といった形で安易に因果関係を語ることを戒めている(p.252)。実際、扁桃体は不安を感じた時だけでなく、怒っているとき、悲しいとき、わくわくしているときにも活動する。この、因果関係の解釈の反証可能性に関する態度が、理系と文系の違いといってもよい。
カーの本質はジャーナリストだと思う。オリジナルの思索やアイデアを語っているというより、自分が体験し、調査した事を、刺激的な問題設定(アジェンダ・セッティング)と手際よい事実(ファクト)の列挙により描き出している。ただし、科学技術ジャーナリストとしては、科学的事実を取り扱う姿勢に問題があると思う(ギリギリの一線を歩いているつもりなのかもしれないが、きわめて危ない姿勢だ)。カーの得意技は人文資料の再構成の巧みさである。カーが科学技術ジャーナリスト、あるいは科学者か工学者と組んで仕事をしたなら、もっと良い成果を出せるのではないかと思う。
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Comments
星さん、久しぶりです。
”わくわくするような本ではないが、興味深い本”というのはその通りですね。冷静な分析、論考はとても参考になりました。Javaレビューのころを懐かしく思い出します。
Posted by: T.Kato | October 15, 2010 08:15 AM
T. Katoさま
申し訳ありません。2010/10/15 8:15付けでコメント頂いておりましたが、掲載が1年以上遅れてしまいました。(当時はSPAMコメント類が多く埋もれていて発見できませんでしたが、コメント欄の記録を一回見直していて発見しました。ごめんなさい)
本文に書いたように、私はこの本の記述スタイルには一部問題があると思いますが、しかしそれはこの本だけの問題ではありません。むしろ、高い水準で書かれた興味深い本と言えるし、ヒントを探すつもりで読む本としてはむしろお勧めできると思っています。
Posted by: 星 暁雄 | July 13, 2012 11:06 AM